「鎌倉散歩」 (その18)   得田 皓則 

英勝寺 鎌倉で唯一の尼寺

 鎌倉駅から10分、鎌倉五山第三位の寿福寺の隣にあります。鎌倉では唯一の尼寺で上品な雰囲気をたたえています。梅が満開でした。

 太田道灌の子孫康資の娘で、徳川家康の側室になったお勝の方(戦いでは必ず勝利をもたらしたといわれる)が開基である。家康の命により、中納言水戸頼房の養母となり、家康の死後、寛永十一年出家し、家光より父祖旧縁の地、道灌の故地を賜って、この地に英勝寺を創建した。そして、頼房の息女、小良姫(さらひめ)を7歳の時に得度出家させ開山第一祖とした。その後、代々水戸家の娘が住持に入ったため、水戸家の尼寺とも呼ばれた。

 英勝寺のどの建物も創建当時から(350年以上前)のもので、他の鎌倉の諸山とは異なり、室町末期桃山系統を象徴する、江戸初期の名建築で、みな可愛らしく優美です。江戸の一流大工が造ったのでしょう。技術も優れております。随所に太田家の桔梗紋と徳川の葵紋が見られ、両家のゆかりを示しています。

仏殿 尼寺らしい慎みと華やかさと気品に満ちた建物で寶珠殿と呼ばれます。軒には十二支を彫刻した蟇股(かえるまた、上部の荷重を支えるための、蛙の股のように下方に開いた建築部材)を並べていますが、仏殿の至る所に彫刻が施されております。仏殿には家光の寄進による運慶作の阿弥陀三尊如来像が安置されております。その天井には見事な天女像や雲龍図が見られます。

(仏殿の写真)

唐門 祠堂に通ずる唐門は屋根が丸い山形をしています。頂上がふっくらと膨れ(むくれ)、軒が反り返っている。こういうデザインを唐破風(からはふ)と言います。唐とは中国ではなく、曲線的なデザインをいいます。唐破風が横向きなので平唐門(ひらからもん)と言います。唐破風が正面を向いているのは、向唐門(むこうからもん)といい、建長寺に立派な唐門があります。小さな門ですが、アチコチに流水や花の彫刻飾りがちりばめられ、趣向が凝らされた、まるで宝石箱のような門です。

(唐門の写真)

鐘楼 格式の高い寺院だけに許される袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)です。間口奥行きとも3メートルの小さな建物です。構造は2層で上層には高欄付きの縁がめぐり、下層には板壁が斜めに付いています。屋根の上の千木には葵の紋が見られます。除夜の鐘は、袴の中に入り、上層から下がった綱を引いて打ちます。

(鐘楼の写真)

祠堂(しどう) 英勝院の一周忌に建てられた江戸初期の建物です。

唐門を入った所にありますが、保護のために鞘堂(さやどう)をかけているので、つい見落としがちですが、柱は金色、壁は黒漆、垂木は朱漆といったようにミニ東照宮を思わせる華麗な建物です。鞘堂のガラス越しにしか見られないのが残念です。

(祠堂の写真)

(了)