「鎌倉散歩」 (その46)   得田 皓則   


遊行寺

 「遊行寺」と呼ばれ、親しまれているこのお寺は、時宗の総本山で「藤澤山無量光院 清浄(しょうじょう)光寺」というのが本当の名前ですが、時宗の法主が遊行上人といわれるところから遊行上人のおいでになるお寺ということで、遊行寺と呼ばれるようになりました。

 また、藤沢は遊行寺の門前町として生まれ、「藤澤山」の山号が町の名となり、やがて東海道の宿場町に発展し、今日の藤沢市となりました。最近ではお寺の近くを箱根駅伝が近くを通る事でもよく知られています。藤沢駅から徒歩15分の距離にあります。

 鎌倉・湘南地区では建長寺、円覚寺、光明寺とあわせて四大寺院といわれております。鎌倉市内にもあまり目立ちませんが時宗のお寺が結構あります。

(遊行寺の写真)

 さて、時宗は一遍上人が宗祖となり鎌倉時代(1274年)に開宗し、阿弥陀如来を本尊に仰ぎます。一遍上人は最初浄土宗のお寺で修業しますが、故郷の窪寺にこもり、やがてゆるぎない信仰を確立し、それからこの教えを総ての人々に広めようと念願を起こし、全国遊行(旅をしながら教えを説くこと)の旅に出ました。16年間に殆ど日本国中を歩かれました。信州・佐久では踊り念仏をはじめました。

 一遍上人は寺院を建立することなく、生涯を日本全国、一人でも多くの人々に念仏をすすめて歩かれました。その志をつぎ、遊行を代々相続する方を遊行上人と呼びます。その遊行上人が、遊行をやめられて定住されることを「独住」といいます。正中2年(1325年)に遊行四代呑海上人がお寺を建てて独住され、それが遊行寺の始まりです。この後、遊行上人と独住上人を兼ねることになりました。

(一遍上人の写真)

▽一ツ火

 1118日から28日まで執り行われる「お別時」といわれる七百年も続く厳しい修行があります。この27日夜には「御滅灯」の式、つまり「一ツ火」の儀式が行われます。

この行事は、一年間の罪業を懺悔して心身ともに清浄になって新し

い年を迎えることと、さらに重要なことは極楽浄土への往生を体得

することであります。この修業の中で最も厳粛なのは「一ツ火」の

式であります。27日の夜は、堂内の一切の灯火が消されて、シーン

と静まりかえった暗闇の中で式が始まります。

遊行上人の底力のある念仏が静かな堂内に満ちてくると、末法のこ

の世の中に念仏のみがただ一つの救いであるという感じになります。

そして、新しい火が打ち出されて、つぎつぎに仏前の灯火が点じら

れてゆき、堂内が次第に明るくなっていきます。念仏の声も一段と

高く、ひびきわたってゆきます。

闇黒と光と念仏と、人々はこの三つが織なす雰囲気に感激し、念仏

のありがたさを体得するのです。ここに七百年の伝統の灯が念仏と

ともに輝きだします。この行事は大変人気のあるもので多くの人が

参列するようです。

(中雀門の写真)

遊行寺は度々火災にあっておりますが、この中雀門は災禍をまぬが

れてきており、この門は境内で一番古い江戸時代、安政年間に作ら

れた建築物になります。

(庭園の写真)
 

(了)