▽網走の思い出 =高橋 和憲=
記憶を辿ると、吹雪と氷柱(つらら)と満開の桜かなあ〜、背丈の何倍もある雪が積もって、体当たりしても折れることのない氷柱がそこにあった。家に風呂がなくて、銭湯へ通う帰り道にタオルを広げて凍らせて喜んだ記憶が遠い遠い昔のことのようだけど、昨日のことのように蘇ることがある。小学校へ入学する4月は雪解けの泥んこ道、学校へ通う坂道で転ぶまいと緊張して、かえって泥道に足をとられ、転んでしまった〜。泣かないようにがんばろうと思ったけど、母親の叱責に負けて泣いてしまった・・・。記憶を辿ると、やっぱり、どうしてもあの冬の厳しさにぶち当たってしまう・・・。
それでも遅い春がやってきて、澄みわたった青空に向かって桜が満開になり優しく微笑みかける風景を絵画の授業で何度もピンクのクレヨンを画用紙に塗ってみたけれど・・・、、とうとううまく描けなかった。間もなく始まった運動会は祖父が朝早くからグランドの周りの特等席を陣取って応援してくれた。昼食タイムに友だちの食事に比べて、少し粗末な弁当が恥ずかしかったが、この時しか食えなかったバナナが美味かった。
家のすぐ近くに川があって、海があって、魚がいて、カニがいて、短い夏の海水浴でたらふく塩水を飲んでしまった。突然、泳げるようになったあの感動は、自転車になかなか乗れなくて〜こけて転んで、擦り傷をこさえながら陽が落ちるまでかかって、ようやく乗れるようになったあの感動と同じだった。父親が相手のキャッチボールでうまく捕球できず、何とか上手になろうと、ひとりで他人の家の塀にボールをぶち当てて練習してたら、手元が狂って塀をこえたボールが窓ガラスを割ってしまった。
いつもオホーツク海が目の前にあって、それが当たり前だった。中学も高校もやっぱり坂道を上り、帰り道には毎日、あの海が迎えてくれた。切ない恋で胸を苦しくして、にわか詩人になったりもした。あの頃の友は今も変わらぬ友でいる。そんな友が都会で立派な暮らしをしている。久しぶりに故郷へ帰ると小さく見える。あのポプラの木も栗の木も無くなってしまったけれど、変わらない海の香りと山の緑が今もあって、冬には口を閉ざす。
2003年は「鉄腕アトム」が誕生した年だ。クリスマスにはサンタから「冒険王」とか「漫画王」など、漫画本のプレゼントが唯一の楽しみだった。「鉄人28号」は人間に操られ、時には悪者になったりもしていたが、「鉄腕アトム」はいつも正義の味方だった。いつの間にか漫画を読まなくなり、にわか文学者になって芥川賞作家とか直木賞作家の小説を読みふけるようになった。21世紀が現実のものになり、50才をゆうに過ぎてしまっている自分に気が付いた。「故郷は遠きにありて想うもの」、あの厳しい寒さを嫌って華やかな都会にあこがれてやってきたが、まるで鮭のようにやっぱり故郷へ帰ってゆく自分をおかしく思うが、これは誰でも同じなのだろう?見えないところでいつも私を支えてくれた故郷があったからこそ、今の自分があるのだと思う、海と山と湖の美しい故郷を大切にしたい。
東京網走会の幹事として、志村会長の下、このHPを立ち上げた。みなさん忙しくてお便りを寄せるどころではないと思うが、是非とも「網走の思い出」、「網走への提言」、「東京での活躍」、などに奮ってお便りをお寄せ下さい!!(了)